柿の木日記・
アウトリーチプログラム
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2018年11月7日(水)
未来の音vol.28「本堂誠〈サクソフォン〉」 本堂誠さんインタビュー(1)
未来の音シリーズvol.28「本堂誠〈サクソフォン〉」
インタビュー①
若手演奏家シリーズ「未来の音」の第28回にご出演いただく、サクソフォン奏者の本堂誠さんにお話をうかがいました。
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◆サックスを始めたきっかけ、留学先のパリでの日々。
Q:サックスを始めたきっかけを教えていただけますか?
A:小学生の時、始めは陸上部に入っていたのですが、練習中に骨折して長い期間休むことになってしまって、戻りづらくなってしまったんです。
そんな時、私がピアノを習っていることを知っていた音楽の先生から誘われて、吹奏楽部に入りました。
もうひとつ、おじがテナーサックスを吹いていて、最初は兄がカッコいいからやりたいと譲り受けたのですが、それが放置されて埃をかぶっていたのを僕が…。
ということもあってサックスは身近な存在ではありましたね。
Q:中学校でも吹奏楽部に入ったということですが、プロの道に進もうと思ったのはいつ頃だったのですか?
A:中学校3年生で全国大会に出場した経験が、本格的に音楽の道を考えるきっかけになりました。顧問の先生、田嶋勉先生は作曲家でもあって、その年の吹奏楽コンクールの課題曲(2004年度課題曲、エアーズ)に選ばれていたんです。
私たちの学校のサウンドを意識して作曲されていたのですが、サックスのソロや四重奏のセクションがある、サックスが大活躍する曲でした。
Q:その後、東京藝術大学を経て同大学院に入学、同じ年にパリの国立高等音楽院に留学されています。かなり前から目指していたのですか?
A:具体的に考えていたわけではなかったのですが、憧れはありました。
大学2年の時、フランスのギャップという町で開催されている講習会では、私より一つ年上の人がリサイタルをしていたのですが、本当に素晴らしい演奏で、同世代というのが何よりも大きな刺激になりました。
翌年、ベルギーのディナンで行われている一番大きなコンクールに参加して、セミファイナルまで残ることができたのですが、最終的にファイナルに残った人たちのほとんどがパリ音楽院の出身者だったというのも影響していたかもしれません。みなさんすごい演奏だったのでかなり衝撃的でした。
それでもまだ具体的には考えていなかったのですが、大学4年の時に先生から「受けてみたら?」と言われ、受けてみたら補欠合格となりました。
一方で藝大の大学院にも合格していた為、確実に入れるかはわからず、もやもやした半年を送っていたところ9月になってからパリから連絡がありました。
大慌てで準備をして11月からパリでの生活が始まりました。
Q:パリでの学生生活はどうでしたか?
A:とにかく刺激が多かったですね。一人暮らし自体も初めてでしたし。
音楽の面では、まずコンサートが安く聴けますし、学内でも頻繁にコンサートをしているのでたくさん聴きに行っていました。
何より同年代の友人たちがハイレベルな人ばかりで、それが一番の刺激になりました。
クラスは12人だったのですが、国籍豊かで、半分がフランス人、他はスペインが少し多くて、ロシア、オーストラリア、ポーランド、イギリス、スロヴェニア出身者などがいました。
やはりお国柄があって、しゃべり方がそのまま演奏に出るように感じました。
その人の持つ声色がそのまま楽器の音になっているような気がします。
to be continued…
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本堂誠さんがバリトンサックスの表現を追及する公演、その名も「バリトニズム2」、12月15日開催!
詳細はこちら
http://www.persimmon.or.jp/performance/…/20180605103929.html